韓国語の経験と試行:〜したことがある(-(으)ㄴ 적이 있다)と、〜してみる(-아/어 보다)の正確な使い分け
こんにちは。
ハングルライフ、運営者の「ホシ」です。
韓国語を勉強していると、日本語の〜たことがあると〜てみるの使い分けに迷うことってありませんか?
この記事では、韓国語の経験と試行:〜したことがある(-(으)ㄴ 적이 있다)と〜してみる(-아/어 보다)に関する違いや過去形との比較、さらには不規則活用まで、皆さんの疑問をスッキリ解決していきますね。
表面的な日本語訳だけでは分かりにくい、話者の意図や状況による使い分けのポイントをしっかりお伝えするので、ぜひ最後まで読んでみてください。
きっと、より自然な韓国語表現が身につくかなと思います。
この記事で分かる事
- -(으)ㄴ 적이 있다と-아/어 보다の基本的な意味と構造
- 単純な過去形と経験表現の決定的なニュアンスの違い
- 話者の意志やコントロール可能性による使い分けの境界線
- 不規則活用のルールや日本語母語話者が陥りやすい誤用対策
韓国語の経験と試行:〜したことがある、〜してみる
韓国語で過去の出来事や経験を話すとき、「〜したことがある」や「〜してみる」という表現は日常会話でも本当によく使いますよね。
ここでは、それぞれの基本的な文法の構造と、どんな場面で使うのが自然なのかを一緒に見ていきましょう。
基本の形をしっかり理解することが、ネイティブのような自然な会話への第一歩になりますよ。
「-(으)ㄴ 적이 있다」の構造と客観的経験
「-(으)ㄴ 적이 있다」は、過去の特定の時点において発生した客観的な事実や経験を伝えるためによく使われる表現です。
直訳すると「〜した時(折)がある」となり、あなたの人生という履歴書の中に「その経験が残っているか」を伝えるイメージですね。
たとえば、「韓国に行ったことがある」や「辛いものを食べたことがある」など、事実として経験が存在していることを相手に中立的な立場で伝える際に非常に便利です。
この文法で一番重要なのは、動詞の語幹末にあるパッチムの有無によって接続の形が変化するというルールです。
韓国語学習の初級で必ず通る道ですが、この基礎をしっかり押さえておくことが、後のスムーズな会話力に直結しますよ。
パッチムがない場合は「-ㄴ 적이 있다」を、パッチムがある場合は「-은 적이 있다」を使います。
また、特殊なㄹパッチムの場合は、ㄹが脱落して「-ㄴ 적이 있다」が接続するという例外ルールがあるので注意が必要です。
反対に、「〜したことがない」と言いたいときは、「있다(ある)」を「없다(ない)」に変えて、「-(으)ㄴ 적이 없다」を使えば簡単に否定の経験を表現できます。
日常会話では「예전에(以前に)」や「한 번(一度)」といった単語と一緒に使うと、より自然な韓国語の響きになりますよ。
パッチムなし(母音語幹)の接続ルール
語幹に「-ㄴ 적이 있다」を直接つなげます。例えば「보다(見る)」なら「본 적이 있다(見たことがある)」、「마시다(飲む)」なら「마신 적이 있다(飲んだことがある)」となります。
パッチムあり(子音語幹)の接続ルール
語幹に「-은 적이 있다」をつなげます。例えば「먹다(食べる)」なら「먹은 적이 있다(食べたことがある)」、「읽다(読む)」なら「읽은 적이 있다(読んだことがある)」となります。発音時は連音化(リエゾン)に注意してくださいね。
ㄹパッチム(特殊子音)の接続ルール
語幹末のㄹが脱落し、「-ㄴ 적이 있다」が接続します。例えば「만들다(作る)」ならㄹが消えて「만든 적이 있다(作ったことがある)」となります。これは非常に間違えやすいポイントなので要チェックです。
「-아/어 보다」の構造と試行の様式
続いて「-아/어 보다」ですが、これは「何かを試みること」や「その結果として得られた経験」を表す、とっても便利な文法です。
元々は視覚的な「見る」という本動詞だった「보다」が、長い歴史の中で意味が変化し、「試しにやってみる」という抽象的なニュアンスを持つ補助動詞へと進化したんですね。
これを言語学では「文法化」と呼んだりしますが、日本語の「手で触れてみる」から「実際に試みる(〜てみる)」へと変化したプロセスと全く同じなので、私たち日本人にとっては非常に感覚を掴みやすい表現かなと思います。
接続のルールは、直前の動詞語幹の最後の母音が「陽母音(ㅏ, ㅗ)」なのか「陰母音(それ以外)」なのかによって決まる「母音調和」という法則に完全に従います。
この表現は、ただ自分の行動を述べるだけでなく、相手への提案や依頼など、コミュニケーションを円滑にするための様々なバリエーションを持っています。
例えば、相手に何かをおすすめしたいときは「-아/어 보세요(〜してみてください)」という丁寧な提案の形が頻繁に使われます。
友達同士のラフな会話なら「-아/어 봐(요)(〜してみて)」となりますし、相手にお願いをする時には「-아/어 주시겠어요?(〜してみてくださいますか?)」といった依頼の形にも応用できます。
このように、「-아/어 보다」は単なる経験の報告にとどまらず、人間関係の距離感を縮めるための語用論的な機能もたっぷり詰まっている奥深い表現なんです。
陽母音(ㅏ, ㅗ)の場合
「-아 보다」を接続します。例えば「가다(行く)」は「가 보다(行ってみる)」となり、「오다(来る)」は「와 보다(来てみる)」へと変化します。
陰母音(ㅏ, ㅗ以外)の場合
「-어 보다」を接続します。例えば「먹다(食べる)」は「먹어 보다(食べてみる)」となり、「입다(着る)」は「입어 보다(着てみる)」となります。
하다(する)動詞の場合
「하다」は特別で「-해 보다」に変化します。「요리하다(料理する)」は「요리해 보다(料理してみる)」、「연락하다(連絡する)」は「연락해 보다(連絡してみる)」となります。
「-(으)ㄴ 적이 있다」と過去形との違い
ここで少し皆さんが疑問に思うのが、「普通の過去形(-았/었다)と、経験を表す-(으)ㄴ 적이 있다はどう違うの?」という点かなと思います。
どちらも過去の話をしていることには変わりないのですが、実はここに、言葉の持つ意味論的な大きな違いが隠されているんです。
例えば、「昨日、韓国に行った(어제 한국에 갔다)」という単純な過去形は、時間軸上の単なる「一つの出来事のポイント」を指し示しています。
過去のある瞬間にそのアクションが完了した、という事実だけを淡々と述べている状態ですね。
一方で、「韓国に行ったことがある(한국에 간 적이 있다)」という表現は、その出来事が現在のあなたの「人生の履歴」の中に、一つの経験としてしっかり格納されていることを強調します。
過去の出来事を現在に引き寄せて、「私にはこういう属性や経験値がありますよ」と相手に伝える機能を持っているんです。
そのため、「-(으)ㄴ 적이 있다」は、「1時間前」や「昨日」といった、ついさっきの具体的な近接過去の時間と一緒に使うと、意味的に少しチグハグになって不自然に聞こえてしまいます。
「昨日、韓国に行ったことがある」と日本語で言っても変に感じるのと同じですね。
普通の過去形は「いつ起きたか」という時間的な事実にフォーカスを当て、経験表現は「その事実が自分の経験値として存在しているか」という現在との繋がりにフォーカスを当てていると覚えておいてください。
単純過去形(-았/었다)のイメージ
カレンダーの特定の日付にピンを刺すような感覚です。「昨日〇〇した」「1時間前に〇〇した」など、具体的な時間と一緒に使われることが多いです。
経験表現(-(으)ㄴ 적이 있다)のイメージ
自分のリュックサック(経験のインベントリ)の中に、そのアイテムが入っているかを確認する感覚です。具体的な「昨日」などの時間は通常伴いません。
「-아/어 보다」接続時の不規則活用ルール
韓国語学習で多くの方が壁にぶつかりやすいのが、動詞の不規則活用ですよね。
「-아/어 보다」をつなげるときも、母音で始まる語尾に対する特有の音韻変化が起こるため、いくつか気をつけなければならないルールが存在します。
頭で理解するだけでなく、何度も声に出して口に覚えさせることが上達への近道になります。
まず代表的なものが「ㅅ不規則(’ㅅ’ 불규칙)」で、これは語幹末の「ㅅ」が母音の前でポロっと脱落してしまう現象です。
例えば「짓다(建てる、ご飯を炊く)」に「어 보다」をつなげると、ㅅが消えて「지어 보다(建ててみる)」となります。
次に厄介なのが「르不規則(’르’ 불규칙)」で、語幹末の「르」の母音「ㅡ」が落ちて、一つ前の文字の下に「ㄹ」のパッチムが追加され、後ろが「라/러」に変化するという複雑な動きをします。
例えば「부르다(呼ぶ、歌う)」に「어 보다」が接続すると、劇的な変化を遂げて「불러 보다(歌ってみる)」になるんです。
さらに「ㅂ不規則(’ㅂ’ 불규칙)」では、語幹末の「ㅂ」が「우」や「오」に変化します。
「굽다(焼く)」であれば、ㅂが우に変わり「구워 보다(焼いてみる)」となります。
これらの不規則変化は、初級から中級へステップアップするための最大の関門とも言えますが、これをスムーズに言えるようになると、韓国語の表現力が格段にレベルアップしますよ。
ㅅ不規則のポイント
ㅅが脱落しても、後続の「아/어」の選択は元の語幹の母音に依存します。「짓다」の母音は「ㅣ(陰母音)」なので、ㅅが消えた後も「어 보다」が付き「지어 보다」になります。
르不規則のポイント
「자르다(切る)」の場合は、直前の母音が「ㅏ(陽母音)」なので、変化した後は「잘라 보다(切ってみる)」と「라」になる点に注意しましょう。
ㄷ不規則のポイント
語幹末の「ㄷ」が「ㄹ」に変わります。「듣다(聞く)」なら「들어 보다(聞いてみる)」、「걷다(歩く)」なら「걸어 보다(歩いてみる)」となります。
話者の意志とコントロール可能性の違い
さあ、ここがこの記事で一番お伝えしたい核心的なポイントです。
検索してこのページにたどり着いた方が最も深く知りたいのが、「-(으)ㄴ 적이 있다」と「-아/어 봤다(〜してみた)」の語用論的な境界線をいかに見極めるか、という部分ですよね。
実は、両者を明確に分ける決定的な要因は「話者の意志(volition)」と「自分で出来事をコントロールできるか」という点にあります。
「-아/어 봤다」の根底には、「自分がそうしたくて意識的に行動した」「自らの意志で試してみた」という強い積極的な意図が内在しています。
だからこそ、自分の計画や努力だけではどうにもならない偶然の出来事や、受動的な被害に対しては「-아/어 봤다」を使うことができません。
例えば、大好きなアイドルに偶然街で遭遇したとき、「소녀 시대를 만나 봤어요(少女時代に会ってみました)」と言うとどうなるでしょうか。
相手には「自分の力や権力で、無理やり会見の場をセッティングして会ってやった」かのような、不自然で傲慢なニュアンスとして伝わってしまう危険性があります。
偶然の遭遇は自分でコントロールできない事象なので、客観的な事実を伝える「소녀 시대를 만난 적이 있어요(少女時代に会ったことがあります)」が唯一の自然な正解となります。
さらに分かりやすいのが、ネガティブな事象です。
交通事故や病気など、自分にとって不利益なことは誰も自ら意図して「試みよう」とは思いませんよね。
そのため、「교통사고가 나 봤어요(交通事故に遭ってみました)」という表現は、意味が破綻しているだけでなく、自ら進んで事故を引き起こしたかのようなサイコパス的な含意すら生み出しかねません。
このような自分の意志が介在しない出来事には、必ず「교통사고가 난 적이 있어요(交通事故に遭ったことがあります)」を選択しなければならないのです。
コントロール可能な事象(意志あり)
「新しいカフェに行ってみる」「辛いラーメンを食べてみる」など、自分の行動で完結できる事象には「-아/어 보다」がピッタリです。積極的な姿勢が伝わります。
コントロール不可能な事象(意志なし)
「有名人に偶然会う」「財布を落とす」「事故に遭う」など、他者の行動や偶然に依存する事柄には「-아/어 보다」は使えません。必ず「-(으)ㄴ 적이 있다」を使います。
応用:韓国語の経験と試行、〜したことがあると〜してみる
基本とニュアンスの境界線をしっかりマスターしたところで、ここからはさらにステップアップする応用編です。
二つの文法を組み合わせた高度な表現や、ネイティブが日常的に使う過去回想の連体形、さらには試験対策にもつながる深い知識をシェアしていきますね。
この章を読み終える頃には、韓国語のアスペクト(相)の感覚がかなり研ぎ澄まされているはずです。
複合構文:〜してみたことがあるの機能
実生活のコミュニケーションの中で、「ただの過去の事実じゃなくて、自分から進んでチャレンジして得た経験として伝えたい!」という場面は多々ありますよね。
そんな時に韓国語で頻繁に用いられるのが、二つの文法要素を美しく統合した「-아/어 본 적이 있다(〜してみたことがある)」という複合構文です。
この構文は、まず本動詞の語幹に補助動詞の「-아/어 보다(試行)」を接続し、さらにその補助動詞を過去連体形にして「적이 있다(経験の定着)」を結合するという、三段階の階層を経て生成されています。
例えば、「한국 요리를 해 본 적이 있어요(韓国料理を作ってみたことがあります)」という一文を分析してみましょう。
この表現は、単に「한국 요리를 만든 적이 있어요(韓国料理を作ったことがあります)」という客観的な事実を述べるだけにとどまりません。
そこへ「自ら興味を持って進んで試みた(主体的な挑戦であった)」という話者の積極的な態度やモチベーションを付加する、素晴らしい語用論的効果を持っているんです。
面接や自己アピールの場面で、未知の領域に対する意欲を伝えたい時には、この表現を使うことで相手にとてもポジティブな印象を与えることができます。
また、否定形を用いた際のニュアンスの違いも非常に重要です。
能力や状況の欠如によってその試みが達成できなかったことを示す場合、「못 가 봤어요(行ってみたことがありません/行けませんでした)」という表現が使えます。
ここでの「못」は、自分の意志ではなく外部要因によって不可能だったことを示すため、「行きたかったけれど、その機会が得られなかった」という悔しさや残念な気持ちを精緻に表現できるんです。
単なる「안 가 봤어요(自分の意志で行かなかった)」とは全く異なるニュアンスになるので、ぜひ使い分けてみてください。
試行(-아/어 보다)+経験(-(으)ㄴ 적이 있다)
この二つが合体することで「ただの出来事」が「主体的なチャレンジの記録」へと昇華されます。積極性をアピールしたい時に最適のフォームです。
못と안の使い分け
複合構文の否定において、「안 해 본 적이 있다」は不自然になりがちですが、「안 해 봤어요(やってない)」と「못 해 봤어요(やれなかった)」のニュアンスの違いは会話で頻出します。
過去回想の連体形「-았/었던」との比較
中級以上の学習者やTOPIK受験を目指す方にとって、「〜したことがある」という経験表現に類似する、さらに高度な文法要素「-았/었던」の理解は避けて通れません。
これも過去の経験や状態を振り返る時に使う表現なのですが、「-(으)ㄴ 적이 있다」とはまた違った独特のモダリティ(話者の心理的態度)を持っています。
「-았/었던」は、過去形語尾の「-았/었」に、強い回想を示す連体形語尾の「-던」が結合した形態です。
この形式は、「過去に一度完全に完了して終わった出来事」や、「過去には行われていたけれど、現在はすでに継続していない断絶された事象」を記述するときに使われます。
単純な回想を示す「-던」が「過去に反復・継続していた未了の行動」を示すのに対し、「-았/었던」は「現在との明確な断絶」を強く暗示する点が決定的な違いです。
例えば「내가 좋아했던 사람(私が好きだった人)」と言えば、過去においては好きだったけれど、現在では既にその感情が完全に失われているという事実が強調されます。
また、「어릴 때 입었던 옷(子供の頃に着ていた服)」であれば、子供時代には着ていたけれど、今はサイズが合わないなどの理由で全く着ていないという、状態の明確な変化を示しています。
特筆すべきは、形容詞に接続する場合の特殊な用法です。
動詞とは異なり、形容詞の場合には「過去の性質が現在まで継続している場合」であってもこの形態が許容されるんです。
「어릴 때부터 똑똑했던 민지(子供の頃から賢かったミンジ)」という文において、ミンジの賢さは大人になった現在でも失われていません。
過去の属性を回想的に修飾し、現在の結果へと繋げる修辞的な技法として機能しているのが、この文法の非常に奥深く面白いところかなと思います。
-던のイメージ
「먹던 빵(食べていたパン)」。過去に食べ始めて、まだ全部食べ終わっていない(途中の)状態や、習慣的に食べていた行動の反復を表します。
-았/었던のイメージ
「먹었던 빵(食べたことのあるパン)」。過去に食べる行為が完全に終了している状態や、現在とは切り離された過去の鮮明な経験の記憶を引っ張り出してくるニュアンスです。
意味論的境界線と形態論的ブロック
ここで、日本語母語話者が最もやりがちで、なおかつ韓国語ネイティブの直感において強い違和感をもたらしてしまう誤用パターンについて解説します。
過去に話題の映画やドラマを観た事実を述べる際、日本語では「韓国ドラマを見てみた」と表現することがごく自然に成立しますよね。
しかし韓国語において、これを直訳した「한국 드라마를 봐 봤어요」という表現は、文法的に誤り(非文)と見なされてしまうんです。
これはなぜかと言うと、本動詞である「보다(見る)」と、補助動詞である「-아/어 보다(〜してみる)」の語源が完全に同一であることに起因しています。
韓国語の言語体系には、同じ語彙が連続して重複する冗長性を回避しようとする「形態論的ブロック(morphological blocking)」という強力なメカニズムが働いています。
「봐 봤어요」と発音すると、同じ単語が連続して響くため、言語感覚として非常に不自然で耳障りになってしまうんですね。
日本語の「見てみた」は「見(る)」+「てみる」で異なる要素が組み合わさっているため違和感がありませんが、この母語干渉が根深いため、私たちは無意識のうちに直訳してしまいがちです。
したがって、「映画を見た」「ドラマを見た」という経験や試行を表現する場合には、この不自然な形態を意図的に避けなければなりません。
この場合は例外なく、客観的経験の構文を採用し「본 적이 있어요(見たことがあります)」と言い換えるのが唯一の正しい表現となります。
「보다」という動詞に対しては、それが物理的な知覚であれ抽象的な理解であれ、補助動詞の「-아/어 보다」を重ねることは絶対にできないというルールを、ここでしっかり機械的に暗記してしまうことをおすすめします。
直訳の罠(NG表現)
「그 영화를 봐 봤어요(その映画を見てみました)」は、形態論的ブロックにより不自然な韓国語となります。日本人が一番陥りやすいミスです。
正しい回避表現
必ず「그 영화를 본 적이 있어요(その映画を見たことがあります)」で代替してください。これでネイティブに違和感なく伝わります。
日本語母語話者が陥りやすい誤用と対策
形態論的ブロック以外にも、私たちがついつい日本語の感覚に引きずられて間違えてしまうポイントがいくつかあります。
対照言語学的な視点から、その代表的な誤用パターンと、それを防ぐための認知的枠組みの再構築についてお話ししますね。
まず一つ目は、感情形容詞に対する不適切な「経験」の適用です。
日本語では「昔、すごく悲しいことがあってね」や「寂しかったことがあるよ」といったように、形容詞に対する経験表現がごく自然に成立します。
しかし、韓国語の「-(으)ㄴ 적이 있다」は、原則として動詞にのみ接続する機能を持っています。
そのため、「슬픈 적이 있다(悲しいことがある)」という直訳表現は、韓国語話者にとっては文法が破綻して聞こえてしまいます。
このような場合、形容詞を状態変化の動詞化する接尾辞「-아/어지다」を用いて「슬퍼진 적이 있다(悲しくなったことがある)」とするか、名詞節化して「슬플 때가 있다(悲しい時がある)」と回避する統語的な処理が必要になります。
二つ目は、記憶の想起に関連する語彙「思い出す」の扱いです。
日本語の「思い出す」は他動詞なので、「あの頃を思い出す」のように目的格助詞の「を」を伴います。
しかし、韓国語でこれに相当する「생각나다」は自動詞であるという点が非常に重要です。
したがって、「〜を思い出す」と言いたいときは、「〜이/가 생각나다(〜が思い浮かぶ)」という主格助詞の構造を取らなければなりません。
「옛날을 생각나다」と言ってしまうのは完全な母語干渉による誤用であり、正しくは「옛날이 생각나다」となります。
経験を語る際には必ずと言っていいほどセットで使われる表現なので、助詞の選択には意識的な修正が求められますよ。
形容詞の経験を語るテクニック
直接繋げられない形容詞は、「-아/어지다(〜くなる)」をつけて動詞化するか、「〜(으)ㄹ 때가 있다(〜する時がある)」を使ってスマートに回避しましょう。
생각나다の正しい使い方
「을/를(を)」ではなく「이/가(が)」を前に置くことを徹底してください。過去の経験を振り返る会話でとても役立ちます。
TOPIK対策:文体とジャンルの制約
最後に、韓国語能力試験などのアカデミックな場面を意識した実践的なお話を少しだけしますね。
本稿で分析してきた文法事項は、日常会話だけでなく、TOPIKの文法・読解領域、そして特に作文(쓰기)領域において決定的な重要性を持っています。
中級から高級へと進むTOPIK IIの作文問題では、客観的な事実の記述が求められる論説文や社会的なレポートを作成する必要があります。
このようなフォーマルなジャンルにおいて、「-아/어 보다」のような口語的で主観的意図を強く含む表現を多用してしまうと、文体の不一致(Register Constraints)として減点の対象となり得るんです。
論文や公的なレポートは、筆者の個人的な「試み」や「感情」よりも、普遍的な事実やデータの羅列が重視されるべきだからです。
したがって、論理的な事実の羅列や社会的現象の経験を記述する際には、「-(으)ㄴ 적이 있다」を用いて中立的に表現するか、さらにフォーマル度を高めるために「-기/음」といった名詞化による客観的記述を採用するのが適しています。
(出典:韓国教育財団『韓国語能力試験 TOPIK』公式サイト)などに記載されている採点基準や模範解答を分析しても、文脈に応じた適切な文法の選択がスコアに大きく影響することがわかります。
「한국에 갔다(単純過去)」「한국에 간 적이 있다(客観的経験)」「한국에 가 봤다(主体的試行と経験)」という三項対立のニュアンスの違いを完璧に理解し、ジャンルや相手に応じて戦略的に使い分ける能力こそが、真の上級者へのパスポートになりますよ。
作文(쓰기)での書き分け
社会問題を論じる54番問題などでは、「-(으)ㄴ 적이 있다」や名詞化表現を使い、客観的で硬い文体(한다体)を維持することが高得点の秘訣です。
面接での自己アピール
逆に就職面接などで自分の経験を語る際は、「-아/어 본 적이 있다」を活用して、主体的な挑戦や問題解決能力をアピールするのが効果的です。
ご注意事項
ここで紹介した試験の採点基準や求められる文体の傾向、および文法の不規則活用のルールなどは、あくまで一般的な目安となります。正確な情報はTOPIKの公式サイトをご確認ください。また、複雑な文法解釈や試験本番での最終的な判断は、ネイティブ講師などの専門家にご相談くださいね。
結論:韓国語の経験と試行、〜したことがあると〜してみる
いかがでしたでしょうか。
今回は、韓国語の経験と試行:〜したことがある(-(으)ㄴ 적이 있다)と〜してみる(-아/어 보다)という二つの文法について、構造からニュアンス、そして心理的な違いまでじっくりと深掘りしてみました。
一見すると似ている表現ですが、「-(으)ㄴ 적이 있다」は履歴書に書くような客観的な経験の履歴を語るためのもの。
そして「-아/어 보다」は、自分の確固たる意志でチャレンジした主体的な行動を語るためのもの、というベースの違いがハッキリと見えてきたかなと思います。
この「意志とコントロール可能性」という前提条件があるからこそ、自分の力ではどうにもならない交通事故や偶然の出来事には「-아/어 보다」を使えない点も、言語の成り立ちとして非常に面白く論理的ですよね。
語学の学習というのは、ただ単語帳の日本語訳を丸暗記する作業ではありません。
その言語が世界をどう切り取り、人々の意図や責任の所在をどう分類しているのかという、奥深い認知的な枠組みをインストールする過程そのものなんです。
表面的な翻訳だけでは見えない韓国語の深いニュアンスを理解することで、皆さんの表現力はこれからもっともっと豊かになっていきます。
ぜひ、次回の韓国語のレッスンや推し活の場で、このニュアンスの違いを意識して使ってみてくださいね!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

